2013年5月13日月曜日

宮城~福島縦断旅行 その5


5月2日(木) 後半


 国道6号を南相馬まで戻り、道の駅南相馬で、草もちにドーナツ生地をかけて丸く揚げた「凍天(しみてん)」を昼飯代わりに買う。


 凍天売り場のカウンターには、見本用に揚げたてを二つに割って置いてあったのだが、それをキセキレイが持ち去ろうと一生懸命引っ張っていたので、一喝して追っ払った。

 食べてみると中のもちはやわらかく、生地の甘みもほど良く、思ったより油っこくなくて、なかなか美味しかった。

 県道268号を真野ダムへ向けて走ると、栃窪の集落あたりから真野川が道に沿って流れるようになるが、事実上の禁漁になっているので、当然釣り人の姿はない。

 スモールが繁殖しつつあるとはいえ、本来であればヤマメの川らしく、いい感じの石。

 ダムサイトを越えると飯舘村に入る。

 水面を見ると想像していたイメージより大規模なダムだった。

 しばらく走ると帰り支度をする釣り人の姿が見えたので話を聞いた。

 今日は風が強くて風裏を探して釣ったが、小さなワームでネチネチしないと反応がないとのこと。

 …お天気おねーさんめ。

 スロープのあるインレット方面を目指してさらに進むと、数人のバサーがいた。

 「今日は三匹ほど」

 申し合わせたように全員がスピニングに小さなワームをセットしたタックルを持っていた。

 相変わらず風は収まらず気温も低いままで、こりゃ思い出作りなんて無理だなと感じつつも、インレットの方を目指してぬかるみを越え、藪をかき分けて進む。

 線量は藪の中や窪地のほうが高いそうだから、きっと計測値より高い値を浴びてるんだろうなーと思いながらも、ぶっちゃけ吸い続けているタバコのほうが、よほど体には悪い。

 しばらく釣りをしたが当然というかやはり反応はなく、寒さと風でモチベーションが落ちてきたので、スロープに戻ってしばらくキャストした後、道具をたたんだ。

 スロープ脇の駐車場を出て、つづら折りの道を登っていくと、サルの群れが木の上でしきりに何かを食べていた。

 人慣れしているのか、こちらに気付いても警戒するような様子は見えなかったが、車を止めて写真を撮ろうとしたら、めんどくさそうに木々の向こうへ消えてしまった。

 …アイソないなおまえら。

 峠を越え、マタタ川とという不思議な名を持つ川沿いを進むと、道沿いに見事な桜。


 沿岸部に比べて建物に地震の影響はほとんど見られないが、このあたりは今回通過するコースの中でも特に線量が高いエリアで、さすがに周囲に人影はない。

 やがて県道12号線に合流、川俣町方面へ向かうと、周囲に「除染作業中」の立て看板が目立つようになってきた。

 相双地区から中通りに抜けられる数少ない道のひとつなので、交通量自体は比較的多い。

 そのうち道は下りになり、川俣町の飯坂集落あたりまで来ると、田んぼは代掻きが始まっており、下校中の子供たちや、それを迎えに行く親の姿が目に付くようになった。

 放射性物質の拡散はひとえに風向きの影響だけなんだそうで、風裏にまわってしまえば、わずかな距離の間でもこれだけの違いが出てしまう。

 逆に風の気まぐれで吹き溜まりができると、妙なところがホットスポットにもなったりする。

 川俣町で国道349号線に入り、道の駅で休憩しながら、田村方面へ進む。

 本当は尻Pがかつてイワナを釣った千扇川を覗いたりしながら、川内村方面へも回りたかったのだが、いわき市内での混雑や、"酷道"399号線の話、いわきの釣具店へ寄る時間を考えると、どうしても時間的に厳しくなってしまったので、そのまま船引三春I.C.から磐越道に乗り、いわき市へ向かった。

 いわき中央I.C.で降りると、国道49号線との合流部分の橋で、翌日釣りをすることになる好間川(よしまがわ)の下流を渡る。

 浪江町から国道6号をそのまま行けば2時間かからず到着できる距離を、阿武隈山地の大迂回で、おおかた5時間かかってしまった。

 車の窓を開けると、相変わらず風は強いものの、相双エリアより気持ち暖かく感じる。
 
 国道49号線から再び国道6号線に入るあたりは、さすがに市内だけあって混んでいた。

 いわき駅方面へ曲がり、目指していた釣具店へ向かう。

 店のサイトから明日のガイドをお願いしたので、勝手に店主が案内してくれるものだと思い込んでいたのだが、実際には店の常連さんとのことだった。

 勘違いを詫び、小物や巻き足りないパターンをいくつか買った後、ガイドをお願いする方へ連絡を取ってもらい、明日の予定を決めてホテルへ向かった。

 ホテルはいわき駅のすぐそばで、チェックインを済ませて部屋に入り、晩飯のためにあれこれ検索をかけてみたが、やはり地域の食材に規制がかかっている(青物は問題なしだが、塩竈でさんざん食ったし…)のもあって、ピンとくる店がなかったので、適当に当たりをつけた洋食屋で軽く食べたものの、なんとなく物足りなくてホテル近くの焼鳥屋へ入った。

 とりあえず地酒と焼鳥の盛り合わせを頼み、メニューを見ると「メヒカリの唐揚げ」があった。

 関西ではあまり馴染みのない魚なので、頼んでみることに。

 揚げたては白身がホクホクして、頭からバリバリ食える小骨の少ないトラギスという感じで、なかなか美味しい。

 いわき市では「市の魚」としてPRに余念がないようだが、少し前までは市場でも捨て値で売られ、子供におやつ代わりにされるような存在だったそうな。

 webを検索してみると、生態もトラギスに近いようで、トラギスと混同されて売られることまであるようだ。

 部屋に戻るとガイド氏からメールが入っていた。

 「寒さと代掻きの濁りで状況は厳しいですが、一生懸命ガイドさせて頂きます」

 …はい、それに応えられるよう、こちらも頑張ります。

 なにより明日もし坊主なら、この旅行『完全試合達成』なんで…。

 てか、代掻きの有無がこんなところで影響してくるとは思わなんだ…。

2013年5月12日日曜日

宮城~福島縦断旅行 その4

5月2日(木) 前半

 モーニングを早めに食べるため、6:30ごろ起きた。

 窓の外には朝日に照らされた阿武隈の山並が見える。


 事前の調べで、南相馬にもバス関係の店があるとわかったので、ちょっと覗いてみることに。

 ホテルを出て、しばらく国道6号線を南下すると、間もなくかつての30km圏内、南相馬市に入る。

 手入れされていない田んぼを除けば、窓の外にはのどかな田舎町の風景。
 
 鹿島区にある件の店に入ると、既に何人かの客がいた。

 ズイールのゲイリーウィッチ、テラー、アンカニーチャップなどを買い、少し話を聞く。

 相馬周辺は東播や淡路島ほどではないにせよ、野池地帯で有名だったそうだが、海に近いところは津波でやられ、残りも地震で軒並み土手が崩れて水抜きされたとか。

 今は真野ダムのスモールがアツいんだそうだ。

 ただ、真野ダムは線量の高めな地帯にあるので、皆あまり長時間の釣りはしないらしい。

 どのみち高線量地帯を通らないと中通りには抜けられないので、ちょっとだけ寄ることにした。

 ポイントまでぬかるむと聞いて、少し先のホームセンターで長靴を調達する。

「除染」という言葉が日常に溶け込んでいた
ホームセンターには意外に客がたくさんいて、大抵の日用品は売っており、作業員用だろうか、使い捨ての全身化学防護服やタイラップも売っていた。

 やがて、ここまで来たんだから、という思いが頭をもたげる。

 すぐに真野ダムへ向かうつもりだったが、時間の許す限り、6号線をさらに南下してみることにした。

 南相馬の中心部である原ノ町を過ぎて、つい最近まで立ち入り禁止だった小高区へ入ると、国道にも地震の影響らしき段差が至るところに現れ、周囲の景色も変わった。

 国道の左右には、津波にやられて崩壊した家屋や店舗、ゴミをぶら下げて折れたままの電柱、田んぼの真ん中に放置された車両がそこらじゅうにあった。

 国道の脇でこの状態なのだから、浜のほうなんて今でもほとんど手付かずのままだろう。

 「どうせなら当時のままのところを見ておくのもいいかもね」
 
 松川浦の釣具屋の店長の言葉が頭をよぎる。

 写真は撮れなかった。


 事前の情報では浪江町との境界まで行くと検問がある、という話だったので、そこで折り返すつもりだった。

 しかし、南相馬市との境界線が通る峠まで来ても、警官の姿やバリケードらしきものが見当たらないので、しばらくそのまま走っていたが、一旦止まって現在地を確認すると、浪江町幾世橋付近と出た。

 かつてサケ釣りで有名だった請戸川を、知らない間に越えてしまっていた。

 誘導員と思しき交差点脇にいた人に聞くと、住民に限り昼間の立入りが許可されており、防犯のために一般車両は市街地へ逸れることは許されないが、国道6号を通行するだけならば、双葉町との境あたりまで行けるようになったのだそうだ。

国道の脇道はこんな感じで塞いである
とはいえ、そろそろタイムアップなので、今来た方向へ戻ることにした。

2013年5月9日木曜日

宮城~福島縦断旅行 その3

5月1日(水)

 ホテルのラウンジでモーニングを食べていると、「お前の滞在期間中は低温と強風に祟られっぱなしだよ」と、天気予報のおねーさんに宣告される。

 まあ覚悟の上で来てるけども。

 中二日は基本的には移動日というのもあって、google mapで道中のルートを考えるうち、昨日も寄った七ヶ浜の北東端、仙台火力発電所の脇に小さな漁港を見つけた。

 ここも津波の痕跡が生々しい。


歯抜けになった松林の向こうに見える発電所も、大きな被害を受けたそうだ。 

 沖向きの堤防にひとりだけ投げ釣りの人がいて、時々いい型のアブラメを釣り上げていた。

 目の前の水道を遊覧船が通り過ぎていく。

 港内は思いのほか水深が深く、ゆっくりラインを沈めて藻の間を狙ったり、崩れた岸壁沿いに流してみたりしたが、特に反応はなかった。

 外向きに投げてみたかったが、折からの強風に加え、ホンダワラが大量に茂っていて、とてもフライでは探れそうになかった。

 港の一番奥には大量のアミがいて、周囲で小魚が跳ねていた。

水中の白いものが全てアミ
豊饒の海を支える重要な餌生物。

 さらにその周りにいるであろう魚食魚を探るも、かかって来るのはゴミばかり…ありゃりゃ。

 まぁ時合とか潮とか一切考えてなかったからねぇ…。

 散歩に来ていた地元の人と少し話した後、道具をたたんで漁港を離れた。

 利府町あたりを走っているとき、トイレと道中の飲み物を確保するためにファミマへ入ったら、あれだけ地元を探しても出会えなかった「メイコの日本酒」がしれっと置いてあった。

めーちゃああああ(ry
二軒のフライショップで、長らく探していた西山さんのバスビデオほか色々と手に入れた後、JR東仙台駅近くの「鐘崎」で笹かまと牛タンスモークを買い入れ、混雑が予想される仙台中心部を避け、仙台東部有料道路で山元町まで南下する。

 左手には、広々と開けた「宮城野」が見渡せ、どのくらい向こうにあるのか、はるかに霞む松林。

 その先は海。

 国土地理院の浸水マップによれば、津波はこの高架を越えて、さらに内陸まで達したらしい。


 代掻きの時期にも関わらず、塩水に浸かった田んぼには、冬枯れの雑草が茂っていた。

 塩害の解消と雇用、産業の確保のため、ここで綿花を栽培しようという動きがあるそうだ。


 岩沼I.C.を過ぎたあたりで交通量は激減、やがて片側一車線になり、そのまま山元町で国道6号に合流する。

 料金所を出てしばらく走り、ナビに映ったため池を見に行くと、地震で崩れたのか土手の工事で水はほとんどない上、フェンスがしてあって「釣り禁止」の看板が…あらら。

 再び国道6号線に戻り、ひたすら南下。

 交通量は相変わらずだが、工事関係の車の比率が高くなってくる。

 やがて阿武隈山塊の東端にかかり、国道は谷間を縫うようにアップダウンを繰り返す。

 とある谷あいに差し掛かったところ、道端に「ここより津波浸水区間」の看板が設置されていた。

 どう見ても谷底から標高20mくらいはあるし、左手は山に遮られて海なんか見えない。

 にわかに信じられなかったが、少し下った道端には、破れたビニールを纏った枯れ木があり、道の西側に伸びる谷間の田んぼは土手が崩れ、灰色の地面に点々と雑草が生えていた。

 津波はこの谷間を駆け登っていったらしい。


 そのうち宮城-福島の県境を越え、新地町に入る。

 県境の小さな峠を越したところに池があり、ちょっと寄ってみることにした。

 車を止めると、土手側にスピニングを持った防寒着姿のバサーが何人かいたが、相変わらず風は強く、気温も10℃前後。

 しばらく広いシャローへキャストを続けたが反応もないし、寒さが我慢できなくなったので撤収。

 悉くお天気おねーさんのおっしゃる通り。


 6号線へ戻り、相馬方面へさらに進む。

 やがてナビは6号線をはずれ、相馬の市街地へ向かう道を示した。

 次の目的は「鳥久」の相馬牛。



 夕飯には早く、昼飯には遅すぎる時間だったが、店主ご自慢のやわらかくて肉汁たっぷりの焼肉定食は、噂どおり実に美味かった。

 レジのおばちゃん曰く、「震災後にボランティアで来た全国の学生さんたちが、地元でこの店を宣伝してくれるから、それを聞いて来てくれる人が多いよ」とのこと。

 お土産兼晩飯、そして酒のアテとしてミンチコロッケを買い、松川浦のそばにある釣具店へ。


 ここの店主は以前から頻繁にブログを更新していて、線量含め現地の様子をこまめに伝えているので、少し話を聞いてみたいと思って寄ってみた。

 たまたま店主が不在だったため、間繋ぎに店主の親父さんが相手をしてくれていたのだが、しばらくすると店主が帰宅したので、改めて当時の話やこれからの話、自分がこの二日で見聞きして感じたこと、神戸の震災のときはこうだった、など長々と話し込んだ。

 店主からは、問題の解消は一代では無理だと腹を括っていること、相馬市内でも被害の度合いやその立場によって認識のギャップがあること、原発の恩恵を受けながら、今は被害者然としている人間たちへの怒り、後継者問題を含めた漁業者の憂鬱、旧30km圏内の被災当時そのままの地区の話、真偽不明の奇怪な目撃談、その他いろいろなことを聞いた。

 「現地へ行けば何か見えるかなと思って来たんですけど、余計にわからなくなりました」

 「なるようにしかならないよ」


 なるようになる。
 
 なるようにしかならない。

 あの頃の神戸も結局そうだった。

 膨大な時間と、日々の地道な積み上げしか方法はない。

 少し買い物をして店主に別れを告げ、夕暮れの松川浦を後に今日の宿へ向かった。

 翌日は長時間運転になるので、ルートと時間配分を考えながらメイコ酒を飲み、アテをパクつくうち、眠くなってきたので風呂に入ってすぐに寝た。


いつもより酒の回りが早かった気がしたが、メイコ酒のせいではないと思う。

2013年5月8日水曜日

宮城~福島縦断旅行 その2

4月30日(火) 後半

 利府バイパスを東進、チャーター船のある塩竈の小さな漁港へ向かうと、津波で破壊されたと思しき痕跡があちこちに。

 また、押し寄せた泥のせいで港が浅くなったらしく、浚渫作業中の看板が出ていた。

 港内をぶらぶら歩いていると、潮の引いた波打ち際で、黙々と何かを掘っている人たちがいる。

 「お昼休みの間に、アサリ取ってるの」とのこと。

 やがて船主が到着し、「海上の風がおさまらないので、やはり出船はできない」と詫びられた。
 
 他には
 「津波で使っていた船が流され、昨年ようやく再開できたところ」
 「この時期はフライだとあまり良くないが、良い時期はソイが浅場でライズする」
 「七ヶ浜の『松ケ浜』あたりなら風裏になるかもしれない」
 との話。

 まあ松島あたりもぐるっと回って、できそうな場所で竿を出してみます、と漁港を後にした。

 ナビで松島町方面への道を調べていると、奥松島の手前に「東名」という見覚えのある駅名が。


  この動画で強烈に印象付けられた地名。

 「…寄っていくか」


 観光客で賑わう瑞岩寺の門前を通り、海沿いの道を奥松島方面へ向かうと、動画にも出てきた陸橋の脇には代替バスの停留所が。

 陸橋を越え、運河の手前を右折し、東名駅へ。


 陸橋の土手にはシバザクラが植えられていた。


線路は撤去されていたものの、踏切横の駅名看板や、周辺のガードレールは津波の力でひん曲げられたままで、運河沿いは水門こそきれいになっていたが、周囲の法面はまだ壊れたままだったり、今まさに解体中の家屋があったりで、まだまだ復興にはほど遠い印象だった。


 南相馬のステッカーを貼った神戸ナンバーのジムニーがたまたま駅前にいたが、こちらを不審そうに一瞥するとすぐに走り去った。

 野蒜方面へ向かう道を右へ反れ、嵯峨渓から宮戸島へ渡り、小さな漁港で写真を撮った。



 さらに島の奥へ進もうとすると、道路の右手にあった小さな入り江の中、それは見えた。


 白いダイハツムーブが、泥の海の中にぽつんと浮かんでいた。


 あれから2年以上経っているのに。

 自分が今走っているこの道から流されたんだろうか。

 かつて自分が起こした、横転事故の時の記憶が蘇る。


 鼓動が早くなり、頭の中でまた葛藤が始まる。


 顔を両手でパンパンと叩き、気合を入れなおしてハンドルを握り、さらに道を行く。

 奥松島パークラインから宮戸の集落に入り、縄文村資料館の前でタバコ休憩。


 このあたりは、縄文時代から人の営みがあり、大規模な貝塚が見つかっているそうだ。

 「…ホテルへ向かおう」


 途中、またあの白いムーブが見えた。


 補修中の砂利道を進んで運河を渡り、東名の陸橋を越えて、再び国道45号線を塩竈方面へ。

 やがて杉の入あたりまで戻ってきたとき、ふと松ケ浜を勧められていたことを思い出し、ちょっと寄ってみることにした。

 先ほど見た光景もあって、躊躇はしたが、せっかく持ってきた道具を塩水に浸したいとも思った。




 外向きのテトラは大きすぎて乗るにはちょっと厳しそうだが、たしかに港内は風裏で、キャストに支障はなさそうだ。

 しかしいざカウントダウンしてリトリーブしてみると、とにかく藻やゴミがやたら引っかかる。

 あまり水質は良くないようで、水面を見るとアカクラゲが長い触手をなびかせて泳いでいた。

 結局数投だけして道具をしまい、写真を何枚か撮って松ケ浜漁港を後にした。


 途中、あちこちにある岩肌に、ぽこぽこと奇妙な穴が開いているのに気付く。

 古代の豪族の墓の跡らしい。


 ホテルに着いてひと段落した後、チャーターボートに払う予定だった金が浮いたこともあり、塩釜駅前の寿司屋で晩飯を食うことにした。

 特上にぎりを頼むと、定番ネタが並んだ大皿が出てきた。

 「美味い…」

 名高い漁業基地だけあって、どのネタも美味かったが、特にアナゴが絶品だった。

 アナゴは瀬戸内産も有名だが、身のやわらかさが全くの別物で、最初は蒸してあるのかとか、種類自体が違うのかと思ったが、どうも生息環境の賜物らしい。

 いくつかお薦めネタを美味しく頂いた後、口直しのイチゴシャーベットを頂くと、手作りらしいこれがまた美味かった。

 ありがちなイチゴ風味の何かではなく、ちゃんとイチゴの味がした。

 回転寿司やスーパーの安物で我慢せずに、たまには贅沢しないとなぁ、と痛感した。

 横に座っていた赤ら顔のおっさんがしきりに大将に絡んで、ちょっと鬱陶しいなぁと思っていたが、去り際に「たまにしか来られないけど、俺もこうやって復興には貢献しねぇとなぁ」とか言いつつ、ぱっと万札を数枚切った。

 目線の先を見ると、店内に津波の到達ラインの印が書いてあった。

 おっさんはガハハと笑うと、また来ると言い残して帰っていった。

 津波は駅前まで到達していて、店主たちは三階に避難して無事だったらしい。

 三階から写したという、泥水逆巻く当時の写真も見せてもらった。

 その後はホテルに帰って風呂に入り、移動の疲れもあってすぐに寝た。

 恐れていた悪夢は見なかった。

2013年5月7日火曜日

宮城~福島縦断旅行 その1

4月30日(火) 前半

 早朝に三ノ宮からシャトルバスで伊丹空港へ。


 事前のネット予約で予めQRコードを出力してあったのもあって、スムーズに搭乗手続きが終わったので、 喫煙室から空港内のフリースポットを使おうとNexus7を立ち上げてみたものの、電波が微弱すぎて使えない…。
 (後に待機ロビーの喫煙室でならまともに使えたことを知るも、時既にお寿司)


 一昨年の青森行きより大きめの機体でいよいよ飛び立つと、例によって雲海で視界が遮られてしまい、仕方なく志の輔がタイで披露したという落語を聴いて過ごす。

 …何のための窓際の席か。

 やがて着陸態勢に入り、阿武隈山地上空から一旦海へ出て、陸へ向かって雲の海を抜けると、視界には松林の残骸と、その向こうに広がる泥灰色の荒野と、せわしなく動く豆粒のような重機やダンプ。

 預けていた荷物を受け取り、レンタカー屋のマイクロバスで事務所へ向かうと、短い道中には廃墟と化したカラオケボックスや、倒れた看板なんかがそのままになっていて、到着した事務所の窓にも津波の水深のラインが。

 東南海発生時、自分が今勤める職場あたりの予想水深がだいたい同じくらいだったので、イメージより高い位置に驚いた。

 車を受け取って、空港のすぐ脇にある貞山堀を渡り、道沿いに北へ向けてしばらく走ってみると、そこらじゅうに基礎や門柱だけになった家の跡。


 遠目に一軒だけ生き残ったような大きな家も、近づくと一階部分が柱だけ。

 わずかに残った松林の中の空き地に車を止めると、目の前にはビニールを枝にぶら下げたまま立ち枯れた木と、足元の砂にはたくさんの陶器や屋根瓦の破片。


 さらに堅固で高い堤防を築くための工事をしているらしく、ひっきりなしにダンプが通っていく。


早くもこの時点で、「まだ早かったかもしれない」という思いと、「今しか見られない光景じゃないか」という思いの葛藤が始まっていた。

 松島湾での釣りのため、予約していたチャーター船の船主から「今日は海上の風が強いので出られないかも」という連絡が入ったが、まあ話も聞きたいし、行くだけ行きますと告げた。

 貞山堀の東側の道を、北へ向かって延々と走っていくと、やがてゆるやかに左へカーブしていき、再建されたばかりと思しき真新しい住宅街の脇を通って、仙台バイパスと交差する。

 真上には、空港方面とJR名取駅を結ぶ鉄道の高架があったが、しっかりした免震構造になっていた。

 阪神淡路の直前、宮城を大きな地震が襲ったとき、「仙台は昔から地震の多い土地柄」というのを聞いて、意外に思ったことがあった。 

 逆に言えば、それだけ普段から備えていた土地だったのに…とも言える。

 東北随一の都市と呼ばれるだけあって、仙台バイパスはかなりの量の車が走行していて、復興作業なのか観光目的なのか、様々な土地のナンバーをつけた車を見かけた。

 バイパス沿いは、ちょっと見ただけでは震災の影響を感じなかった。

 ラジオでも「GWで他県からお越しの皆さんへ『方言かるた』のお土産を」とかなんとか。

 やがて最初の目的地であるフライショップに着くと、店の前になにやら張り紙が。

 『4/29~30、お休みします』 … (ノ∀`)アチャー

 もうひとつのフライショップもNexus7で調べると

 「火曜定休」 …(ノ∀`)(ノ∀`)(ノ∀`)ジェットストリームアチャー

2013年5月6日月曜日

宮城~福島縦断旅行 前段

 あの大津波から3年目、そして終息の気配すら見えない原発事故。

 色々差し引いたとしても、テレビなんかでは津波や地震の被害なんて原発事故の影に隠れてしまって、まるでなかったような扱いになっている気がする。

 一昨年の青森釣行時に書いたように、良くも悪くも風化は確実に進んでいるんじゃなかろうか。

 ボランティアに行くほど殊勝な性格でもなし、尻Pみたいにカウンター片手に「ひとでなし」を貫けるほどの知識も根性もなし、自分みたいな凡人にすらなれないアホは、怪しげな連中が企画したデモに参加したり、出所不明な文章を盾にアジったり、庭に池掘ってうだうだ言うてるより、現地で散財したほうが多少なりとも貢献できるかなと。

 正直なところ、悪趣味だとは思いつつ、一度は現地を見ておきたい、という考えがあったのは否定しない。
 これには神戸の震災後、「被災地へ行くのは不謹慎」の声に、被災地見物を兼ねた観光客までぱったり途絶えて、三ノ宮の飲み屋街が軒並み怪しげな風俗店や、居ぬき系の店になっていく様を見てきたのもある。

 それに神戸の震災のときは、あらゆる意味で3年めが転機になったことがいくつもあったので、もう少し待ったほうがいいかも、とも思ったけど、そろそろいいかな、と。

 とはいえ、天候不順の予報も手伝って、本格的に予定を組みはじめたのは、またもやGWの数日前という体たらく。
 検索のたびに増えていくタブ、そして積み上がる費用、一昨年の教訓がまーったく身についてないわが身を前に若干の眩暈を感じながらも、行くと決めたんやから…と、宿代やレンタカー代以外は極力削らないように予定を組んだ。
 事故の影響で休業中の旅館に電話をかけてしまい、平謝りで電話を切ったりもしたけども…。

 予定はこんな感じ。

一日目:仙台空港から塩竈へ。昼から松島周辺でロックフィッシュ(チャーター)。
二日目:塩竈からフライショップを巡りつつ福島県の相馬へ。時間があれば周辺で何か狙う。
三日目:相馬から行けるところまで南下、阿武隈山地を大回りして、当日中にいわき入り。
四日目:いわき周辺の解禁済み河川で渓魚を狙う(ガイド付き)。
五日目:福島空港から帰着。移動途中にバスが釣れそうなら狙う。

 なんと「よくどしい」行程であろうか。

 先日買ったNexus7は、まさにこの旅行のための準備だったんだけど、先行投資のほうが現地で使う額より多くないか?という、セルフ突っ込みは華麗にスルー。

 今回もやはり飛行機は往復ともあっさり取れて、まだ影響あるのかな、と思ったりもしたけれど、関西における東北方面への航空需要、特に仙台はJALとANA(とIBEX)が就航していたりするので、そもそも便数自体が多めなのかもしれない。

 温泉場や娯楽施設近くの宿は軒並み埋まってたりしたので、近県や地元の人たち、団体客が活発に利用している感じ。
 まあ元々一人旅で温泉場へは泊まりにくいんだけど、そのへんは日帰り温泉とかでカバーするとして…とか、だいたいの予定が組めてから気がついた。

「フライの本数が足りない」

移動日の早朝にかけて、必死こいて毛鉤を巻きましたとも…。

2013年4月29日月曜日

Nexus7を買いました

以前も書いたように、タブレット自体は随分前から欲しいなぁとは思っていたものの、せいぜい釣り場やらの確認くらいで、わりと限定された使い方しかせんよなぁ…などと、うだうだやっていた。

ところが、とある理由で是非とも必要、となったもんで、ぐぐる先生にあれこれ教えてもらいつつ、それでも結局よくわからず(←馬鹿)、「わからんことは店員に聞いたらわかるやろ」と、半ば見切り発車状態で梅田のヨドバシまで行ってきた。


…まずJR周辺の変貌ぶりにえらく驚かされるところから始まる。

芝田町の交差点より北西側で、でかい建物といえば梅田ヨドバシだけだったのが、今やでっかいビルに見下ろされてるわ、空中回廊みたいなんはできてるわ、あまつさえ東急ハンズまで入ってるとは思わなんだ。

いくら梅田に行く用事が最近なかったとはいえ、どんだけ浦島太郎かと。


とりあえず事前にぐぐりまくった時に仕入れた知識として

「simフリータブレットとb-mobileのsimカードがあれば即日使える」
「外で使うにはモバイルwi-fiが必要」

という二つの情報があったものの、これがどーーーしても頭の中で繋がらない。

そりゃ脱獄後のiPad miniの情報と、Nexus7のwi-fi版、さらにその3G版の話が、ちゃんぽんになって検索に引っかかるんだから、話が繋がるわけもなく。


で、Appleストアは即見つかったものの、Nexus7とb-mobileのsimカードの売り場がわからない。

案内係に「びーもばいるのしむかーどのうりばどこや」とアホ面下げて聞くも、あちらもよくわかってなかったようで、帳面ひっくり返したり、あっちこっち内線かけたりしながら、なんとか教えてくれた。


ようやっとsimカードの売り場にたどり着いたものの、これをどうやればネットに繋げるのかは相変わらずさっぱりわからない。

丁度運悪くそこを通りかかった店員を捕獲して、色々聞いてみたものの、いざ話がsimカードに至ると、どうも要領を得なくなってきた。

「も、もっと知識のある者を呼んできますー!」と、その店員と入れ替わりに別の男前が。


色々聞いてみて、とりあえずNexus7にはwi-fi版とwi-fi+3G対応版があること、公式にsimフリーで販売されているのはNexus7くらいなこと、simカードがあればモバイルwi-fiは必要ないこと、あたりまでなんとか辿り付いた。


そしてここからwi-fi接続と3G回線の違いを教えてもらいつつ、疑問がだいたい氷解。

Nexus7と画面保護シート、フタつきの専用ケース、b-mobileよりお得感の強いIIJmioのsimカード、さらにちょっとした旅先でのwi-fi環境はあったほうが良さそうなので、安物の無線ルータも購入して、帰宅後さっそく繋ぎにかかる。

そして改めて調べると、初期設定時にやはりwi-fi環境は必須ということで、まず無線ルータの設定、そしてsimカードを有効化した後、いよいよNexus7の初期設定へ。

意外にwi-fiでの接続はあっさり終わったものの、IIJmioのAPN設定がどうにも上手くいかない。

APN設定後、右上のボタンを押すと設定が保存できるはずなのに、またやり直しになってしまう。

再びぐぐり倒すと、どうやらバグらしく、一旦IIJmioのAPNを設定後、ホームボタンか右下のボタンに飛んで、再び「モバイルネットワーク」の「APN」に戻ると、IIJmioの回線があっさり認識されていた。

続けてちょいちょいと設定した後、再起動して設定を上書き。

試しにwi-fiを切ってみると、ちゃんと3G回線でネット接続が。

セキュリティソフトとかはまた後日ということで、今日はここまでとした。


で、なんでこんなに手のかかるものに手を出したかというと、そこはまた事情がありまして。。。