職場へ向かう通勤電車の中、不意の電話に出てみれば「親父、さっき死んだから」と弟の声。
かなり前から容態が回復せず、内心覚悟はしていたとはいえ、いざとなってみるとやはり急だなと感じた。乗っていたのが特急列車だったため、結局会社の最寄り駅に着いてから上司に連絡、忌引の申請とともにすぐ反対ホームに移動して入院先へ急いだ。
「眠るような最期」・・・元々、生きているか死んでいるかわからないぐらい、痴呆と麻痺が進んでいたのだから、本人でないと実際の苦しみはわからないけれど、そう言われたので信じることにした。顔を布で覆っている以外は、元のベッドにそのままの状態。脳梗塞による麻痺の影響から、口は開きっぱなし、腕や足は凝り固まって曲がったまま。
親父が最期を老人施設で迎えられなかった原因は、本人による介護保険料の長期滞納。長期出張していた期間の話とはいえ、もっと強く言うべきだったと後悔しても、滞納分支払いには「時効」があって何ともならなかった。本来ならば半年で追い出されても仕方ないところを、こちらの事情を汲んで長期入院させてくれた院長たちの厚意には、いくら言葉で感謝しても足りない。
しばらくして弟や叔母たちが到着。葬儀会場の手配、遺体の移送手続き、費用負担の相談などを淡々とこなしていると、葬儀屋の車が到着。何度も院長や婦長に礼をしながら、遺体とともに葬儀会場へ。「今は空いている部屋がないので」と、待機用の部屋に通された。「遺体は一旦霊安室に入れ、納棺はこちらでやる」と言われたので、「朝から何も食べていない」と言う叔母たちと一緒に食事へ。息子たち以外は高齢者ばかりだから、あまり無理もさせられない。
頃合いを見て通夜の部屋へ行ってみると、棺桶に入った親父はうっすら死に化粧を施され、麻痺で歪んでいた顔や手足も多少ましになっていた。そして祖母の死に顔と見事なまでにそっくりだったのには驚いた。
長い間この街で暮らす親父には知人・友人も少なくない。そして親類に至っては西日本一帯に
いる。それでも自分たち親族が選んだ答えは「家族葬」。
本人も生前それを望んでいたし、そもそも瀬戸内の島に住む高齢者や既に向こうへ行った人が多くて、実際参列できる人は限られている。なにより、残された者たちはそんなに裕福じゃないし。
最近はろくに葬式も行わない「直葬」という方法もあるらしいが、実際に葬儀一式にかかる費用を見ると、通夜までちゃんとやってもそれほど変わらないというのが実情らしい。何より、戒名や読経もなしに焼き場へ送るなんてことはしたくなかったので。
高野山真言宗だという「おっさん」(和尚さんの意。アクセントは"お"にある)は、体格に見合った太くて響く良い声で、狭い部屋には十分すぎるほど。島の菩提寺とは少しやり方が違うけど、きちんとやってくれたと思う。
通夜だけに一晩中の泊りを覚悟していたけれど、やはり菩提寺の本堂でやるのとは勝手が違う。まぁ用意された何本もの螺旋状の線香や、大型の灯明は朝まで尽きることもないだろうし、「大抵の方は帰宅されますよ」という葬儀屋の人の言葉にも促されてとりあえず帰宅。
ネットでもやって気晴らしするか、とも思ったけど、やはり気が乗らない上に、直前までひいてた風邪がぶり返したので、とっとと寝ることに。
翌日の葬儀は、都合がついたほかの親類縁者や、社長命令で引くに引けないうちの上司を含めた人数で挙行。昨日より格調高い袈裟で現れた「おっさん」の読経の中、少ない人数での焼香だったので、煙はすぐに尽きてしまう。わかってたことだけど、やはり寂しい。
「うちは代々"○念○○信士(女)"」というのをしっかり伝えていなかったため、白木の位牌に書かれたのは微妙な感じの戒名になってしまったけれど、まぁ"お釈迦様の弟子"であることに変わりはないし、自分の戒名でもないので仕方ない。お布施は相場よりかなり安かったし・・・。
ひととおりの式次第が終わり、やがて出棺。タクシーを仕立てるほどでもないので、各々自分の車で移動。なので出棺を見送るのは喪主である自分と上司だけ。仕方ないこととはいえ、やはり人数はそこそこいないと葬儀って成り立たないんだなぁと実感。
いざ斎場へ着いてみれば、うちの車列に続いて次々と霊柩車が。季節柄、体力的に亡くなる人が増えるとはいえ、焼かれるときまでラッシュアワーなんて切ない話だなと。「おっさん」もひととおりの読経が終わって一旦退場。無理を言って別の葬儀と平行してやってもらっているので仕方ない。遺骨が出てくる時間を職員に聞いたあとは、皆で食事休憩。斎場に近い店が高級しゃぶしゃぶ店くらいだったこともあり、えらく豪華な昼食になってしまった。
そして骨あげ。いざ引き出された遺骨を見てみると、祖母のときと違って残っている骨が随分少ない。昔の人なので骨は丈夫だったはずなんだが、ベッドで長く寝たきりだったことや、酒が好きだったこともあるんだろうか。
生前「俺のこの金歯は純金で作ってあるから、俺が死んだら抜いて金にしろ」と言っていたのを思い出し、いざその金歯のあったあたりを見てみると、確かに金属が溶けたものが残っているものの、どう見ても釣りに使う鉛のようにしか見えない。もしかしたら銀やプラチナだったのかもしれないが、一般的な金歯に使われる18金だとせいぜい数千円程度にしかならないらしいし、遺骨と一緒に墓へ入れてしまったほうがいいだろうということで骨壷へ。元々小柄な親父だったが、ずいぶん小さくなってしまった。
骨あげが終わり、初七日法要のために再び葬儀場へ。既に「おっさん」は別室で待機しており、到着してすぐに法要が始まった。「無上甚深微妙法・・・」と開経偈から始まり、諸仏真言、そして般若心経。菩提寺では参列者と一緒に唱えたけれど、ここでは全員が真言宗というわけでもないから仕方ない。
ひととおりのことが終わり、弟の車で遺骨とともに自宅へ。親父にとっては、実に3年弱ぶりの帰宅。まだ体が動いていた入院初期のころは、何度も何度も脱走しては帰ろうとしていたらしいから、少しは喜んでくれているだろうか。・・・なんて感傷に浸る間もなく、会社関係の人間への香典返しをしなければならないことに気付き、急いでまたデパートへ。
街はルミナリエ真っ只中、贈答品受付はお歳暮モード真っ最中という状況。案内人にお願いして別窓口へと促され、タコ打ちでしか入力できないおばちゃん店員と相談しながら、香典の半額以下を目安に次々と商品を決めていく。
急に上司から電話が入り、「会場での様子がかなり辛そうだったから、もう一日休んでよい」との話。お言葉に甘えてゆっくり過ごさせてもらうことにした。実際風邪がぶり返して、かなり体力的にも精神的にも厳しかったのでありがたかった。
続いて弟からも連絡。すぐに区役所で色々と書類手続きをしたらしく、少しだけ自分の口座あてに振り込まれるらしい。
こうして振り返ると、まさに名ばかりの喪主だったのだけれど、やはり色々と削られた気はする。今はまだ完全に落ち着いたわけでもないが、とにかく一日も早く日常に戻ることを考えようと思う。