4月30日(火) 後半
利府バイパスを東進、チャーター船のある塩竈の小さな漁港へ向かうと、津波で破壊されたと思しき痕跡があちこちに。
また、押し寄せた泥のせいで港が浅くなったらしく、浚渫作業中の看板が出ていた。
港内をぶらぶら歩いていると、潮の引いた波打ち際で、黙々と何かを掘っている人たちがいる。
「お昼休みの間に、アサリ取ってるの」とのこと。
やがて船主が到着し、「海上の風がおさまらないので、やはり出船はできない」と詫びられた。
他には
「津波で使っていた船が流され、昨年ようやく再開できたところ」
「この時期はフライだとあまり良くないが、良い時期はソイが浅場でライズする」
「七ヶ浜の『松ケ浜』あたりなら風裏になるかもしれない」
との話。
まあ松島あたりもぐるっと回って、できそうな場所で竿を出してみます、と漁港を後にした。
ナビで松島町方面への道を調べていると、奥松島の手前に「東名」という見覚えのある駅名が。
この動画で強烈に印象付けられた地名。
「…寄っていくか」
観光客で賑わう瑞岩寺の門前を通り、海沿いの道を奥松島方面へ向かうと、動画にも出てきた陸橋の脇には代替バスの停留所が。
陸橋を越え、運河の手前を右折し、東名駅へ。
陸橋の土手にはシバザクラが植えられていた。
線路は撤去されていたものの、踏切横の駅名看板や、周辺のガードレールは津波の力でひん曲げられたままで、運河沿いは水門こそきれいになっていたが、周囲の法面はまだ壊れたままだったり、今まさに解体中の家屋があったりで、まだまだ復興にはほど遠い印象だった。
南相馬のステッカーを貼った神戸ナンバーのジムニーがたまたま駅前にいたが、こちらを不審そうに一瞥するとすぐに走り去った。
野蒜方面へ向かう道を右へ反れ、嵯峨渓から宮戸島へ渡り、小さな漁港で写真を撮った。
さらに島の奥へ進もうとすると、道路の右手にあった小さな入り江の中、それは見えた。
白いダイハツムーブが、泥の海の中にぽつんと浮かんでいた。
あれから2年以上経っているのに。
自分が今走っているこの道から流されたんだろうか。
かつて自分が起こした、横転事故の時の記憶が蘇る。
鼓動が早くなり、頭の中でまた葛藤が始まる。
顔を両手でパンパンと叩き、気合を入れなおしてハンドルを握り、さらに道を行く。
奥松島パークラインから宮戸の集落に入り、縄文村資料館の前でタバコ休憩。
このあたりは、縄文時代から人の営みがあり、大規模な貝塚が見つかっているそうだ。
「…ホテルへ向かおう」
途中、またあの白いムーブが見えた。
補修中の砂利道を進んで運河を渡り、東名の陸橋を越えて、再び国道45号線を塩竈方面へ。
やがて杉の入あたりまで戻ってきたとき、ふと松ケ浜を勧められていたことを思い出し、ちょっと寄ってみることにした。
先ほど見た光景もあって、躊躇はしたが、せっかく持ってきた道具を塩水に浸したいとも思った。
外向きのテトラは大きすぎて乗るにはちょっと厳しそうだが、たしかに港内は風裏で、キャストに支障はなさそうだ。
しかしいざカウントダウンしてリトリーブしてみると、とにかく藻やゴミがやたら引っかかる。
あまり水質は良くないようで、水面を見るとアカクラゲが長い触手をなびかせて泳いでいた。
結局数投だけして道具をしまい、写真を何枚か撮って松ケ浜漁港を後にした。
途中、あちこちにある岩肌に、ぽこぽこと奇妙な穴が開いているのに気付く。
古代の豪族の墓の跡らしい。
ホテルに着いてひと段落した後、チャーターボートに払う予定だった金が浮いたこともあり、塩釜駅前の寿司屋で晩飯を食うことにした。
特上にぎりを頼むと、定番ネタが並んだ大皿が出てきた。
「美味い…」
名高い漁業基地だけあって、どのネタも美味かったが、特にアナゴが絶品だった。
アナゴは瀬戸内産も有名だが、身のやわらかさが全くの別物で、最初は蒸してあるのかとか、種類自体が違うのかと思ったが、どうも生息環境の賜物らしい。
いくつかお薦めネタを美味しく頂いた後、口直しのイチゴシャーベットを頂くと、手作りらしいこれがまた美味かった。
ありがちなイチゴ風味の何かではなく、ちゃんとイチゴの味がした。
回転寿司やスーパーの安物で我慢せずに、たまには贅沢しないとなぁ、と痛感した。
横に座っていた赤ら顔のおっさんがしきりに大将に絡んで、ちょっと鬱陶しいなぁと思っていたが、去り際に「たまにしか来られないけど、俺もこうやって復興には貢献しねぇとなぁ」とか言いつつ、ぱっと万札を数枚切った。
目線の先を見ると、店内に津波の到達ラインの印が書いてあった。
おっさんはガハハと笑うと、また来ると言い残して帰っていった。
津波は駅前まで到達していて、店主たちは三階に避難して無事だったらしい。
三階から写したという、泥水逆巻く当時の写真も見せてもらった。
その後はホテルに帰って風呂に入り、移動の疲れもあってすぐに寝た。
恐れていた悪夢は見なかった。
利府バイパスを東進、チャーター船のある塩竈の小さな漁港へ向かうと、津波で破壊されたと思しき痕跡があちこちに。
また、押し寄せた泥のせいで港が浅くなったらしく、浚渫作業中の看板が出ていた。
港内をぶらぶら歩いていると、潮の引いた波打ち際で、黙々と何かを掘っている人たちがいる。
「お昼休みの間に、アサリ取ってるの」とのこと。
やがて船主が到着し、「海上の風がおさまらないので、やはり出船はできない」と詫びられた。
他には
「津波で使っていた船が流され、昨年ようやく再開できたところ」
「この時期はフライだとあまり良くないが、良い時期はソイが浅場でライズする」
「七ヶ浜の『松ケ浜』あたりなら風裏になるかもしれない」
との話。
まあ松島あたりもぐるっと回って、できそうな場所で竿を出してみます、と漁港を後にした。
ナビで松島町方面への道を調べていると、奥松島の手前に「東名」という見覚えのある駅名が。
この動画で強烈に印象付けられた地名。
「…寄っていくか」
観光客で賑わう瑞岩寺の門前を通り、海沿いの道を奥松島方面へ向かうと、動画にも出てきた陸橋の脇には代替バスの停留所が。
陸橋を越え、運河の手前を右折し、東名駅へ。
陸橋の土手にはシバザクラが植えられていた。
南相馬のステッカーを貼った神戸ナンバーのジムニーがたまたま駅前にいたが、こちらを不審そうに一瞥するとすぐに走り去った。
野蒜方面へ向かう道を右へ反れ、嵯峨渓から宮戸島へ渡り、小さな漁港で写真を撮った。
さらに島の奥へ進もうとすると、道路の右手にあった小さな入り江の中、それは見えた。
白いダイハツムーブが、泥の海の中にぽつんと浮かんでいた。
あれから2年以上経っているのに。
自分が今走っているこの道から流されたんだろうか。
かつて自分が起こした、横転事故の時の記憶が蘇る。
鼓動が早くなり、頭の中でまた葛藤が始まる。
顔を両手でパンパンと叩き、気合を入れなおしてハンドルを握り、さらに道を行く。
奥松島パークラインから宮戸の集落に入り、縄文村資料館の前でタバコ休憩。
このあたりは、縄文時代から人の営みがあり、大規模な貝塚が見つかっているそうだ。
「…ホテルへ向かおう」
途中、またあの白いムーブが見えた。
補修中の砂利道を進んで運河を渡り、東名の陸橋を越えて、再び国道45号線を塩竈方面へ。
やがて杉の入あたりまで戻ってきたとき、ふと松ケ浜を勧められていたことを思い出し、ちょっと寄ってみることにした。
先ほど見た光景もあって、躊躇はしたが、せっかく持ってきた道具を塩水に浸したいとも思った。
外向きのテトラは大きすぎて乗るにはちょっと厳しそうだが、たしかに港内は風裏で、キャストに支障はなさそうだ。
しかしいざカウントダウンしてリトリーブしてみると、とにかく藻やゴミがやたら引っかかる。
あまり水質は良くないようで、水面を見るとアカクラゲが長い触手をなびかせて泳いでいた。
結局数投だけして道具をしまい、写真を何枚か撮って松ケ浜漁港を後にした。
途中、あちこちにある岩肌に、ぽこぽこと奇妙な穴が開いているのに気付く。
古代の豪族の墓の跡らしい。
ホテルに着いてひと段落した後、チャーターボートに払う予定だった金が浮いたこともあり、塩釜駅前の寿司屋で晩飯を食うことにした。
特上にぎりを頼むと、定番ネタが並んだ大皿が出てきた。
「美味い…」
名高い漁業基地だけあって、どのネタも美味かったが、特にアナゴが絶品だった。
アナゴは瀬戸内産も有名だが、身のやわらかさが全くの別物で、最初は蒸してあるのかとか、種類自体が違うのかと思ったが、どうも生息環境の賜物らしい。
いくつかお薦めネタを美味しく頂いた後、口直しのイチゴシャーベットを頂くと、手作りらしいこれがまた美味かった。
ありがちなイチゴ風味の何かではなく、ちゃんとイチゴの味がした。
回転寿司やスーパーの安物で我慢せずに、たまには贅沢しないとなぁ、と痛感した。
横に座っていた赤ら顔のおっさんがしきりに大将に絡んで、ちょっと鬱陶しいなぁと思っていたが、去り際に「たまにしか来られないけど、俺もこうやって復興には貢献しねぇとなぁ」とか言いつつ、ぱっと万札を数枚切った。
目線の先を見ると、店内に津波の到達ラインの印が書いてあった。
おっさんはガハハと笑うと、また来ると言い残して帰っていった。
津波は駅前まで到達していて、店主たちは三階に避難して無事だったらしい。
三階から写したという、泥水逆巻く当時の写真も見せてもらった。
その後はホテルに帰って風呂に入り、移動の疲れもあってすぐに寝た。
恐れていた悪夢は見なかった。