これからの文章は、一種の「愚痴」だと思って聞き流していただきたい。
実は今回の釣行ルートには、必ず近くに原子力施設がある。
小老部川河口の東通原発。
わざわざ狙ったわけではないけれど、それだけ下北半島には原子力関連施設が多い。
逆に言えば、それらを受け入れなければ行政機能が維持できない状況でもあるのだろう。
(残念ながら「新リア王」を読んだことはないが)
大間町のアピールを「青森の恥」と罵った青森県民がいたが、原子力関連の補助金が少なからず県の財政を支えていること、今まで津軽地方からしか知事が出ていないことなどを考えれば、下北や南部エリアが自分たちの犠牲になっている事実を無視した発言と言える。
福島の件を受けて、世間では反原発運動がにわかに盛り上がっている。
では、全部止めればそれでいいのかというと、そんなに世の中は単純に出来ていない。
今までのこの国の原子力行政を無批判に擁護するのと同じだけ、盲目的な反対運動もまた害悪にしかならない。
六ヶ所村・核燃料サイクル施設
かつてチェルノブイリ事故で反原発機運が盛り上がったときも、収束はあっさりしたものだった。
問題の本質が我が身に返ってくること、一筋縄で解決できる問題ではないことに気付き、しばらくの停滞期を経て、やがて世間は飽きた。
政治的圧力なんてなくたって、結局は国も国民も、問題の本質に踏み込むことを避けたのだ。
現にユッケ問題が出てきたとたん、原発事故やそれに伴う放射線量についてのツイートのみならず、東北の被災地の現状についてのツイートまで減ってしまった。
今やそれらの呟きを続けるのは、冷静に状況を見極めようとする一部の人々と、デマも含めて騒ぎたい人たち、この件を政治的に利用したい人たちだけになってしまったように見える。
大間原発(建設中)
きっともう半年もしないうちに、人々はまた飽きてしまうだろう。
そのうち夏季の電力需要逼迫があるにせよ、火力が頑張ればそれらも忘れ去られるだろう。
それは福島で避難生活を余儀なくされている人々も同様。
地下鉄サリン事件が起こった途端、阪神淡路大震災の被災者が忘れられてしまったように。
人々の心理は、当時と何ら変わっていないと思われる。
今回は国内での事故ということで、状況がかなり状況が違うはずなのだが。
自分には学もなく、今回の事故がなければ「放射能」と「放射線」の区別もつかなかった程度の人間ではあるけれど、気に入らない発言をしたからと「御用学者リスト」を作ってみたり、かつて原子力関連のCMに出たというだけでタレントを吊るし上げようとする動きには、はっきり言って不快感しか湧かない。
どう考えたって、そこが本質ではないのは、この出来の悪い頭でも分かるから。
以前誰かが呟いた「ダメな反対派」が、再び醸成されているようにしか見えないのだ。
ではどうするのだ、と問われても、当然答えなんて持ち合わせてはいない。
根拠も微妙なCO2削減論に名を借りた原発推進機運は確実に退潮するだろう。
代替エネルギーへの注目も一時的なもので、コストの名の下にやがて忘れられるだろう。
文明的生活には大量のエネルギーが必ず必要で、それを手に入れるには何らかの代償が必要という、実に単純明快で根本的かつ地味な話に、真剣に向き合う人々が現われることを祈るだけだ。
それに、もう思想ごっこでお茶を濁す余裕なんて、この国にはないと思う。
丁度こんな文章があったので、〆としてリンクしておく。
http://www.mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20110501k0000m070102000c.html
>原発に限らない。
>賛成か反対か、敵か味方か。
>単純に色分けして他者を排するような社会から今度こそ脱皮したい。
>65年前の藤田の日記は「理性が支配するのが民主主義的なあり方」と続いている。
実は今回の釣行ルートには、必ず近くに原子力施設がある。
小老部川河口の東通原発。
わざわざ狙ったわけではないけれど、それだけ下北半島には原子力関連施設が多い。
逆に言えば、それらを受け入れなければ行政機能が維持できない状況でもあるのだろう。
(残念ながら「新リア王」を読んだことはないが)
大間町のアピールを「青森の恥」と罵った青森県民がいたが、原子力関連の補助金が少なからず県の財政を支えていること、今まで津軽地方からしか知事が出ていないことなどを考えれば、下北や南部エリアが自分たちの犠牲になっている事実を無視した発言と言える。
福島の件を受けて、世間では反原発運動がにわかに盛り上がっている。
では、全部止めればそれでいいのかというと、そんなに世の中は単純に出来ていない。
今までのこの国の原子力行政を無批判に擁護するのと同じだけ、盲目的な反対運動もまた害悪にしかならない。
六ヶ所村・核燃料サイクル施設
かつてチェルノブイリ事故で反原発機運が盛り上がったときも、収束はあっさりしたものだった。
問題の本質が我が身に返ってくること、一筋縄で解決できる問題ではないことに気付き、しばらくの停滞期を経て、やがて世間は飽きた。
政治的圧力なんてなくたって、結局は国も国民も、問題の本質に踏み込むことを避けたのだ。
現にユッケ問題が出てきたとたん、原発事故やそれに伴う放射線量についてのツイートのみならず、東北の被災地の現状についてのツイートまで減ってしまった。
今やそれらの呟きを続けるのは、冷静に状況を見極めようとする一部の人々と、デマも含めて騒ぎたい人たち、この件を政治的に利用したい人たちだけになってしまったように見える。
大間原発(建設中)
きっともう半年もしないうちに、人々はまた飽きてしまうだろう。
そのうち夏季の電力需要逼迫があるにせよ、火力が頑張ればそれらも忘れ去られるだろう。
それは福島で避難生活を余儀なくされている人々も同様。
地下鉄サリン事件が起こった途端、阪神淡路大震災の被災者が忘れられてしまったように。
人々の心理は、当時と何ら変わっていないと思われる。
今回は国内での事故ということで、状況がかなり状況が違うはずなのだが。
自分には学もなく、今回の事故がなければ「放射能」と「放射線」の区別もつかなかった程度の人間ではあるけれど、気に入らない発言をしたからと「御用学者リスト」を作ってみたり、かつて原子力関連のCMに出たというだけでタレントを吊るし上げようとする動きには、はっきり言って不快感しか湧かない。
どう考えたって、そこが本質ではないのは、この出来の悪い頭でも分かるから。
以前誰かが呟いた「ダメな反対派」が、再び醸成されているようにしか見えないのだ。
ではどうするのだ、と問われても、当然答えなんて持ち合わせてはいない。
根拠も微妙なCO2削減論に名を借りた原発推進機運は確実に退潮するだろう。
代替エネルギーへの注目も一時的なもので、コストの名の下にやがて忘れられるだろう。
文明的生活には大量のエネルギーが必ず必要で、それを手に入れるには何らかの代償が必要という、実に単純明快で根本的かつ地味な話に、真剣に向き合う人々が現われることを祈るだけだ。
それに、もう思想ごっこでお茶を濁す余裕なんて、この国にはないと思う。
丁度こんな文章があったので、〆としてリンクしておく。
http://www.mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20110501k0000m070102000c.html
>原発に限らない。
>賛成か反対か、敵か味方か。
>単純に色分けして他者を排するような社会から今度こそ脱皮したい。
>65年前の藤田の日記は「理性が支配するのが民主主義的なあり方」と続いている。


